品川区
品川神社【北の天王社】
天下一嘗の面
てんかひとなめのめん
(国常立尊面・赤面(あかめん)さま)
慶長5年(1600)、徳川家康公が関ヶ原の戦いに出陣の際に戦勝を祈願され、合戦の後、勝利の御礼としてこの面を奉納された。もとは舞楽の演目の「二の舞」に用いられる面で、室町時代中期に作られたとみられる。江戸時代中頃の疫病が流行したある年のこと、「この面を神興に付け町々を廻れば苦しみから救うぞ」との神様のお告げがあり、以来、6月の例大祭ではこの面をお神輿につけて渡御し、無病息災・幸福招来が祈願される。
品川神社【北の天王社】について
文治3年(1187)、源頼朝公が海上交通の安全と祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請し、品川大明神と称した。元応元年(1319)、北条高時の臣・二階堂貞藤(道蘊)が、産業の守護神として、宇賀之売命を勧請し、社地を吉端岡(よしはがおか)と名付けた。文明10年(1478)6月、太田道灌が、風水害、疫病、歌謡の守護神として、素盞嗚命を勧請し6月の天王祭が始まる。明治元年(1868)には「准勅祭社」と定められた。大東亜戦争の折は、幸いにして戦火を免れたが、社殿の老朽化が進み、昭和39年(1964)、現在の社殿が再建された。東海道北品川宿の鎮守である。
【鎮座地】東京都品川区北品川3丁目7-15
(令和2年10月寄稿)
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