ご社宝めぐり

葛飾区
葛西神社
区指定有形民俗文化財
鍾馗石像
 葛西神社の鍾馗(しょうき)石像は、元禄8年 (1695)、金町村の念仏講が建立したもの。立像を浮き彫りにした形式で、地上高111センチ、像高72センチ、幅42センチ、奥行29センチ。右手には剣を持ち、左手には小鬼を掴んでいる。像の光背左右には、「奉造立鍾馗為悪魔降伏 金町村施主敬白 念佛講結衆同行四十一人元禄八乙亥七月十七日」と刻まれている。
 鍾馗は、唐の玄宗皇帝の夢に登場し、魔を祓い病気を治したとの伝承を持つ大陸由来の神で、疫鬼、悪魔を退散させると信仰されてきた。日本では、疱瘡除けなどとして用いられた。新型コロナウイルス感染症流行により、疫病除けの神として注目されている。
 建立した念仏講は、庶民に広がった念仏を唱える信仰集団であり、「村内に疫病の流行したときなどは、悪魔払いと称し、大珠数を廻しながら念仏を唱え、各家を巡回した」といい、葛飾区では江戸時代の寛文・延宝から元禄・享保頃盛んであった(『葛飾区史』) 。
 建立の事由は詳らかではないが、おそらく当時の何らかの疫病流行を受けて「悪魔降伏」を祈願し、彫像されたと考えられ、近隣に鎮座していたのを移したと推測されている。
 なお、鍾馗の絵画などは各地にみられるが、石像の鍾馗は大変珍しく、貴重であり、『日本石仏事典』(庚申懇話会編)にも代表例として同神社の鍾馗石像の写真が掲載されている。(区指定有形民俗文化財)
葛西神社について
 平安時代末期の元暦年間、葛西地域33郷の領主・葛西三郎清重の篤信により、香取神宮の分霊を勧請し総鎮守として創建された。社名は、はじめ香取宮と称したが、その後、香取神社と改められ、明治14年(1881)、現在の葛西神社の社名となった。天正19年(1590)、豊臣秀吉公の意志を引継いだ徳川家康公から御朱印地10石が付された。江戸時代には、あやつり人形芝居が盛んで、また江戸囃子の祖といわれる葛西囃子発祥の社として知られている。明治8年(1875)には郷社に昇格。「赤穂浪士討入の図」(区指定有形文化財)などの文化財を所蔵する。
【鎮座地】東京都葛飾区東金町6-10-5
(令和2年7月寄稿)