東京都神社庁
初代庁長 香取茂世先生胸像
本胸像は、香取茂世初代庁長の喜寿をお祝いし、その功績を称えて有志の協賛を得て建立されたものである。昭和35年10月7日に除幕式がおこなわれ、昨年建立から60年の還暦を迎えた。彫刻家・堀進二氏の作。
江東区・香取神社の宮司であった香取元庁長は、昭和21年、神社庁初代の庁長に就任。終戦直後の混乱期に、管内罹災神社の復興のために、安い木材の斡旋や煩雑な事務手続きに便宜をはかるなど懸命に力を尽くされた。また、現在の直階講習会につながる神職家族講習会を始めるなど、広く人材の育成に努め、東京都神社界の礎を築かれた。昭和37年帰幽。その葬儀には1000人を超える神社関係者、氏子の方々が参列したという。
胸像は建立当初、庁舎の前庭にあったが、平成8年、庁設立五十周年記念事業として現在の場所に移設された。その祝賀会で関係者が「神社庁に赴くたびに香取先生の胸像が、木陰とはいえ風雨にさらされていることに心が痛み、今回、屋根の下に移され立派に装飾されたことは喜びに堪えない」と語るように、亡くなられた後も、そのご人徳から誰からも永く敬慕される存在であった。
香取初代庁長は『東京府神職会公報』が『東神』に改称された昭和12年9月当時の編集責任者であり、戦後、『東神』の復刊(昭和31年10月)を実現した功労者のお一人でもある。
江東区・香取神社の宮司であった香取元庁長は、昭和21年、神社庁初代の庁長に就任。終戦直後の混乱期に、管内罹災神社の復興のために、安い木材の斡旋や煩雑な事務手続きに便宜をはかるなど懸命に力を尽くされた。また、現在の直階講習会につながる神職家族講習会を始めるなど、広く人材の育成に努め、東京都神社界の礎を築かれた。昭和37年帰幽。その葬儀には1000人を超える神社関係者、氏子の方々が参列したという。
胸像は建立当初、庁舎の前庭にあったが、平成8年、庁設立五十周年記念事業として現在の場所に移設された。その祝賀会で関係者が「神社庁に赴くたびに香取先生の胸像が、木陰とはいえ風雨にさらされていることに心が痛み、今回、屋根の下に移され立派に装飾されたことは喜びに堪えない」と語るように、亡くなられた後も、そのご人徳から誰からも永く敬慕される存在であった。
香取初代庁長は『東京府神職会公報』が『東神』に改称された昭和12年9月当時の編集責任者であり、戦後、『東神』の復刊(昭和31年10月)を実現した功労者のお一人でもある。
(令和3年3月寄稿)