大田区
御嶽神社
国登録有形文化財
御嶽(おんたけ)神社末社
一山(いっさん)神社・水行(すいぎょう)堂
一山(いっさん)神社・水行(すいぎょう)堂
本殿西隣の末社・一山神社は、御嶽神社中興の祖と称えられる一山行者(いっさんぎょうじゃ)(一山霊神(れいじん))などの御嶽信仰の行者・先達を霊神として奉祀し、殿内には、一山行者像(木像)を安置している。明治32年の建立で、国登録有形文化財。
一山行者(生年不詳、嘉永4年・1851没)は、木曽御嶽講四代講祖に数えられ、現在も各地にその系譜を継ぐ御嶽講が存在し、さいたま市にも一山神社が鎮座する。
各地の霊山を遍歴した一山行者は、木曽御嶽山にて修行中、神示を受け、当地に向かい、御嶽神社を活動拠点とし、関東一円に崇敬者を広めた。
境内には、御嶽行者が水垢離をするために慶応3年(1867)頃建立した水行堂があり、現在は禊場として使用されている。龍や亀の彫刻が施されており、こちらも国登録有形文化財となった。一山行者が水行をした井戸は、「杜の霊神水」として別個に整備されている。
一山行者(生年不詳、嘉永4年・1851没)は、木曽御嶽講四代講祖に数えられ、現在も各地にその系譜を継ぐ御嶽講が存在し、さいたま市にも一山神社が鎮座する。
各地の霊山を遍歴した一山行者は、木曽御嶽山にて修行中、神示を受け、当地に向かい、御嶽神社を活動拠点とし、関東一円に崇敬者を広めた。
境内には、御嶽行者が水垢離をするために慶応3年(1867)頃建立した水行堂があり、現在は禊場として使用されている。龍や亀の彫刻が施されており、こちらも国登録有形文化財となった。一山行者が水行をした井戸は、「杜の霊神水」として別個に整備されている。
御嶽神社について
天文4年(1535)創建といわれる。木曽御嶽山の神々を奉祀し、「嶺の御嶽山」と親しまれる。一山行者の活躍により、天保2年(1831)に現在の社殿を建立。「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ」と信仰されたという。境内奥には、御嶽信仰による36基の霊神碑がある。
【鎮座地】東京都大田区北嶺町37-20
(令和3年6月寄稿)
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