葛飾区
半田稲荷神社
区指定有形文化財
神泉遺構
この遺構は嘗ては湧泉井戸で、現在湧出はしていないが、旧来の形状がよく保存されている。
享保年間(1716~37)の頃には、当社は庖瘡・麻疹・安産に霊験ありといわれ、当時願人坊主(がんにんぼうず/僧形の芸人)が「葛西金町半田の稲荷、庖瘡も軽い、麻疹も軽い」と全国を謡い踊り歩いたため、参詣人が絶えず、舞踊や長唄でも演じられたという。玉垣には寄進者として市川団十郎・尾上菊五郎など新富座の役者の名前も見える。
享保年間(1716~37)の頃には、当社は庖瘡・麻疹・安産に霊験ありといわれ、当時願人坊主(がんにんぼうず/僧形の芸人)が「葛西金町半田の稲荷、庖瘡も軽い、麻疹も軽い」と全国を謡い踊り歩いたため、参詣人が絶えず、舞踊や長唄でも演じられたという。玉垣には寄進者として市川団十郎・尾上菊五郎など新富座の役者の名前も見える。
半田稲荷神社について
江戸時代に火災に遭い記録を焼失しているため創建年代は詳らかではないが、和銅年間(708~715)とも永久年間(1113~18)ともいわれる。建武2年(1335)の板碑等を蔵することによっても、創始の古いことが察せられる。現在の社殿は弘化2年(1845)尾州家の立願によって造営された。
【鎮座地】東京都葛飾区東金町4-28-22
(平成25年7月寄稿)
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