北区
七社(ななしゃ)神社
渋沢栄一翁揮毫の社号額
「日本近代資本主義の父」と称えられる渋沢栄一翁は、明治12年、七社神社の氏子区域である西ヶ原村に別荘・飛鳥山邸を構え、明治34年にはその飛鳥山邸を本邸とし、同社の氏子となった。信仰心の篤い渋沢翁は、本殿、拝殿、社務所の各種造営事業にも尽力したという。
そのような由縁から、同社拝殿には、渋沢翁が揮毫した社号額が現在も掲げられている。この額は、昭和3年の奉納で、令和元年に御遷座百五十年記念事業の一環として修繕された。
同社には他にも、愛読書『論語』よりの一節を記した額、天照皇大神の御神号軸などの渋沢翁揮毫の宝物があり、大河ドラマの主人公、そして令和6年発行予定の新一万円札の肖像である渋沢翁とゆかり深い神社として注目を集めている。
そのような由縁から、同社拝殿には、渋沢翁が揮毫した社号額が現在も掲げられている。この額は、昭和3年の奉納で、令和元年に御遷座百五十年記念事業の一環として修繕された。
同社には他にも、愛読書『論語』よりの一節を記した額、天照皇大神の御神号軸などの渋沢翁揮毫の宝物があり、大河ドラマの主人公、そして令和6年発行予定の新一万円札の肖像である渋沢翁とゆかり深い神社として注目を集めている。
七社(ななしゃ)神社について
往古の創建であるが、寛政5年(1793)の火災により古文書類を焼失。翌年秋分に再建されたので、秋分を例祭日とする。江戸時代は、丹生七柱大神と称された。明治2年(1869)に一本杉神明宮(現・境内社の天祖神社)の社地に遷座した。明治26年に本殿、昭和3年に拝殿を改築。
【鎮座地】東京都北区西ヶ原2-11-1
(令和3年10月寄稿)
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