豊島区
髙田總鎭守氷川神社
豊島区有形文化財
石造鳥居

神田川に架かる面影橋を渡る道は旧鎌倉街道であり、江戸時代の絵図と現在も大きな違いはない。街道沿いの神社正面にあたる東側の石造鳥居は江戸時代、御府内である高田四つ谷町に下屋敷のあった鳥羽藩主稲垣摂津守の奉納によるもので、右柱には『石華表一基奉献武州豊島郡高田邑氷川大明神 社前 寛政二庚戌年正月吉日』左柱には『志摩州鳥羽藩主従五位下對馬守稲垣氏 源昭央(テルナカ)謹識』と刻まれている。
関東大震災や大東亜戦争等幾度もの災禍を免れた。石造鳥居をはじめ、神社境内には文化四年に奉納された石造狛犬や江戸期の石造玉垣、明治10年に奉納された石灯籠などがあり、平成3年(1991)6月に豊島区有形文化財として指定を受けている。
関東大震災や大東亜戦争等幾度もの災禍を免れた。石造鳥居をはじめ、神社境内には文化四年に奉納された石造狛犬や江戸期の石造玉垣、明治10年に奉納された石灯籠などがあり、平成3年(1991)6月に豊島区有形文化財として指定を受けている。
髙田總鎭守氷川神社について

高田總鎭守氷川神社の創建は今からおよそ1200年前、第56代清和天皇の御代である貞観年間(859~877)に旧官幣大社氷川神社の御分霊を現在の高田の地に奉斎されたと伝えられている。明治40年5月4日、神饌幣帛料供進神社に指定される。大正8年発行の「高田村誌」には、『在原業平朝臣東国下行の際當社へ祈願あり。山吹の里氷川の宮と號す。又、當幕府三代公(徳川家光公)の御帰依ありて高田口中の總鎭守とされた』と記載されている。
【鎮座地】東京都豊島区高田2-2-18
(令和6年3月寄稿)
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