目黒区
上目黒氷川神社
目黒元富士
歌川広重の絵でも有名な「目黒元富士」は、明治11年に上目黒一丁目の目切坂上から現在の上目黒氷川神社境内へ末社として移された。
山頂の浅間神社の石祠や石碑とともに、令和5年で御鎮座145年となる。
「元富士」は文化9年(1812)に「丸旦講」とよばれる富士講の人々が築山したもので、当時のままの石碑には講のマークであった「旦」の文字が刻まれているのを確認できる。
厳密には富士塚ではないが、移された時代には境内からも富士山を眺めることができたため「より富士登山の気持ちで参拝できるように」と昭和50年頃に自然の崖を利用した登山道が造られている。
毎年7月には山開き神事と目黒富士浅間神社例大祭を斎行している。
山頂の浅間神社の石祠や石碑とともに、令和5年で御鎮座145年となる。
「元富士」は文化9年(1812)に「丸旦講」とよばれる富士講の人々が築山したもので、当時のままの石碑には講のマークであった「旦」の文字が刻まれているのを確認できる。
厳密には富士塚ではないが、移された時代には境内からも富士山を眺めることができたため「より富士登山の気持ちで参拝できるように」と昭和50年頃に自然の崖を利用した登山道が造られている。
毎年7月には山開き神事と目黒富士浅間神社例大祭を斎行している。
上目黒氷川神社について
天正の時代(1573年〜)に武田信玄の家臣である加藤氏が、山梨県上野原の産土神をこの地で祀ったのが始まりとされる。古くから稲荷山と称された高台に稲荷社が鎮座していたが、氷川社が本社となり稲荷社は末社となった。上目黒村の鎮守であり、目黒川の度重なる氾濫や疫病から氏子を守ったとして「氏子はいにしえより疫病知らず」と江戸名所図会に記されている。
【鎮座地】東京都目黒区大橋2-16-21
(令和5年11月寄稿)
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