世田谷区
八幡神社【勝利八幡神社】
区指定有形文化財
旧本殿
当神社の旧本殿は、前面を唐破風付きの向拝とした一間社である。向拝には七級の木階を設けている。向拝柱の上部には象鼻・拳鼻を付け、その上に連三斗組を置き、桁を受ける。
正面と両側面に高欄付の切目縁を回し、脇障子を付けている。
身舎柱は切目長押、内法長押を回し、頭貫に木鼻を付け、連三斗組を置く。中備は蟇股を置き虹梁を受ける。また、妻飾には虹梁の上に大瓶束、連三斗組を置き棟木を支える。
各斗栱や彫物は胡粉の上に彩色を施し、また身舎部分は弁柄塗りにするなどの装飾が施され、小社でありながら本格的な社殿建築としている。また、象鼻や蟇股などの形状は上品に仕上げられ、室町風の趣がある。
旧本殿には棟札が残り、天明8年(1788)10月に大工高橋宇八らの手によって建てられたものであることが分かる。区内に残る本殿建築では最古である。(世田谷区教育委員会掲示参照)
正面と両側面に高欄付の切目縁を回し、脇障子を付けている。
身舎柱は切目長押、内法長押を回し、頭貫に木鼻を付け、連三斗組を置く。中備は蟇股を置き虹梁を受ける。また、妻飾には虹梁の上に大瓶束、連三斗組を置き棟木を支える。
各斗栱や彫物は胡粉の上に彩色を施し、また身舎部分は弁柄塗りにするなどの装飾が施され、小社でありながら本格的な社殿建築としている。また、象鼻や蟇股などの形状は上品に仕上げられ、室町風の趣がある。
旧本殿には棟札が残り、天明8年(1788)10月に大工高橋宇八らの手によって建てられたものであることが分かる。区内に残る本殿建築では最古である。(世田谷区教育委員会掲示参照)
八幡神社【勝利八幡神社】について
万寿3年(1026)後一条天皇の時代に、京都石清水八幡宮より、祭神の御分霊を奉斎した宮で、旧中宮造営は天明8年、旧外宮は明治5年造営で旧上北沢村の村社であった。尚、現在この旧本殿は参道右脇い置かれている。
【鎮座地】東京都世田谷区桜上水3-21-6
(平成23年11月寄稿)
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