港区
八幡神社【西久保八幡様】
西久保八幡貝塚と出土品
本貝塚は武蔵野台地東南の端の方愛宕山付近で溜池谷にそそぎ込む我善坊谷とその支流に挟まれた台地の北側斜面に形成されており、その存在は戦前から知られていましたが、昭和58年に社殿の西側ではじめて発掘調査が行われました。標高は現在の22メートルよりやや高いことが確認され、縄文時代後期前葉から後葉にかけての貝層と、貝層が形成されなくなった晩期の遺物包含層の厚い堆積が確認されました。また、階層下には縄文時代前期の遺物包含層も確認されました。区内の他の貝塚は貝ばかりで形成されているのに対し、本貝塚からは当時の人々の生活の様子がうかがえるという特徴があります。調査範囲が狭いにもかかわらず、後期中葉の完形土器も数点出土し、大森貝塚との比較資料として重要とされています。(港区教育委員会)
八幡神社【西久保八幡様】について
寛弘年中(1004~12)に源頼信(多田満仲の三男)が石清水八幡宮の神霊を請じて、霞ヶ関のあたり(榎坂とも)に創建したという。太田道灌が江戸城を築いた時、現在地に遷された。徳川二代将軍秀忠正室の崇源院は関ヶ原の戦の戦勝を祈願し、その報賽として寛永11年(1634)社殿を造営した。元和5年(1619)には時の鐘が造られたが、寛文10年(1670)に割れてしまい、現存はしていない。
【鎮座地】東京都港区虎ノ門5-10-14
(平成22年8月寄稿)
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