板橋区
ときわ台天祖神社
神楽殿舞台の鏡板
昭和28年に落成した神楽殿の鏡板は、その4年後の昭和32年に地元在住の日本画家・西澤笛畝(にしざわてきほ)(1889-1965)によって境内側面に「老松」が、神楽殿内側面に「太陽」がそれぞれ制作され、氏神様への報謝として奉納されたものである。この作品は、縦2.6m、横5.5mの大作で笛畝の作品の中では最も大きなものとされ、「比奈舎(ひなしゃ)」と雅号の落款がある。
この鏡板は、天井に通した左右二本のレールにより前後に可動、境内側と神楽殿内の両方から舞台を楽しめる仕掛けとなっている。鏡板はその大きさから二人がかりで動かす必要があり、境内から舞台を鑑賞する時には鏡板を神楽殿内側に、神楽殿内の大広間から舞台を鑑賞する時には境内側に鏡板を移動する。
この鏡板は、天井に通した左右二本のレールにより前後に可動、境内側と神楽殿内の両方から舞台を楽しめる仕掛けとなっている。鏡板はその大きさから二人がかりで動かす必要があり、境内から舞台を鑑賞する時には鏡板を神楽殿内側に、神楽殿内の大広間から舞台を鑑賞する時には境内側に鏡板を移動する。
ときわ台天祖神社について
天照皇大御神を主祭神とし相殿神として豊受姫神と大山咋神をお祀りする。ご創建にまつわる二つの伝承が残されており、一つは鎌倉時代後深草天皇の康元年間の創建(1256〜1257)という伝承で、もう一つは上板橋村字原に天照皇大御神のお姿が現われたという影向跡があり、時代ははっきり伝わっていないが、そこに伊勢神社を勧請したというものである。創建当初は神明宮と称していたが後に神明社と改称。明治5年には村社に列格。その後東京府によって現在の名称である天祖神社と改称された。
【鎮座地】東京都板橋区南常盤台2-4-3
(令和5年9月寄稿)
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