渋谷区
北谷稲荷神社
治水記念碑
神社表参道の階段を上がった右手にある「治水記念碑」は、大正9年9月30日に起きた台風による風水被害を伝えるものである。
旧岸和田藩岡部家下屋敷にあった「岡部が池」(現・国立代々木競技場駐車場付近、明治以降は陸軍練兵場の溜池として使われていた)が決壊、濁流が轟々と流れ、北谷地域を崩し、またたく間に数百戸が浸水した。これに地元の区長や区会議員など三名が救済活動に乗り出し、陸軍に物資の融通を要請、また寄付を募り復興に充てた。政府により堤防、側溝が整備され、神社修復資金として七千五十円の給付を受け、神社総代によって社地の境界確定と社殿再建が行われた。翌年10月に竣工した社殿は壮麗であった。
北谷稲荷神社は、原宿駅ほど近くに立地する。百年前、まだ周辺に民家が残っていた時代の治水事業の歴史を刻む石碑である。
旧岸和田藩岡部家下屋敷にあった「岡部が池」(現・国立代々木競技場駐車場付近、明治以降は陸軍練兵場の溜池として使われていた)が決壊、濁流が轟々と流れ、北谷地域を崩し、またたく間に数百戸が浸水した。これに地元の区長や区会議員など三名が救済活動に乗り出し、陸軍に物資の融通を要請、また寄付を募り復興に充てた。政府により堤防、側溝が整備され、神社修復資金として七千五十円の給付を受け、神社総代によって社地の境界確定と社殿再建が行われた。翌年10月に竣工した社殿は壮麗であった。
北谷稲荷神社は、原宿駅ほど近くに立地する。百年前、まだ周辺に民家が残っていた時代の治水事業の歴史を刻む石碑である。
北谷稲荷神社について
創建の詳細は不明だが『新編武蔵国風土記稿』には「田中讃岐守直高が文明年間(1469~1487)駿河より移り住んだ時、邸内の艮(北東)の方に勧請した」とある。万治3年(1660)、再建した際の棟札には、澁谷村総鎮守稲荷大明神とあり、文明以前からの鎮守とも推測される。旧地名に因み北谷稲荷の号を冠する。現在の社殿は平成9年11月に竣功、建築家・菊竹清訓氏による洗練された意匠が特徴。
【鎮座地】東京都渋谷区神南1-4-1
(令和5年8月寄稿)
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