台東区
藏前神社【東石清水宮】
徳富蘇峰「萬歳」横額
昭和15年(1940)、神武天皇御即位を起点とする皇紀二六〇〇年の紀元節(現・建国記念の日)である2月11日に、徳富蘇峰が奉祝の意を込め揮毫したものという。戦災を被った同社の再建の折、氏子より寄贈された。
同社拝殿の向かって右側の壁に掛けられ、金色の紙を背景にガラス額に飾られている。
元々は大型の扇で、日の丸を挟み「萬歳」と書かれ、脇に「皇紀二千六百年/国民大祝典之日/蘇峰七十八」とある。七十八とは、当時の徳富蘇峰の年齢(数え年)である。
徳富蘇峰は、戦前の代表的言論人、歴史家であり、『近世日本国民史』など多数の著作を遺した人物。終戦後、GHQによりA級戦犯として訴追され、不起訴となるも公職追放に処せられた。
昭和30年2月11日、92歳の徳富蘇峰は、神社界中心の国民祭典執行委員会(代表・鷹司信輔神社本庁統理)主催「紀元節奉祝の集ひ」に音声テープによる祝辞を寄せ、占領下に廃止された紀元節の復活・祝日化を呼び掛けた。
同社拝殿の向かって右側の壁に掛けられ、金色の紙を背景にガラス額に飾られている。
元々は大型の扇で、日の丸を挟み「萬歳」と書かれ、脇に「皇紀二千六百年/国民大祝典之日/蘇峰七十八」とある。七十八とは、当時の徳富蘇峰の年齢(数え年)である。
徳富蘇峰は、戦前の代表的言論人、歴史家であり、『近世日本国民史』など多数の著作を遺した人物。終戦後、GHQによりA級戦犯として訴追され、不起訴となるも公職追放に処せられた。
昭和30年2月11日、92歳の徳富蘇峰は、神社界中心の国民祭典執行委員会(代表・鷹司信輔神社本庁統理)主催「紀元節奉祝の集ひ」に音声テープによる祝辞を寄せ、占領下に廃止された紀元節の復活・祝日化を呼び掛けた。
藏前神社【東石清水宮】について
元禄6年(1693)、時の将軍・徳川綱吉公が山城国より石清水八幡宮を勧請し、厚く崇敬した。かつては石清水八幡宮や石清水神社の名称の郷社で藏前八幡、東石清水宮と通称された。昭和22年、隣接社等の合祀により藏前神社と改称。勧進大相撲発祥、古典落語ゆかりの御社としても知られる。
【鎮座地】東京都台東区蔵前3-14-11
(令和3年2月寄稿)
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