練馬区
氷川神社【石神井の氷川さま】
山本瑞雲作欄間一対
写真は令和2年春竣工した儀式殿玄関ホールに設けた衝立(高さ1.45メートル、幅2.1メートル)である。作者の山本瑞雲は木彫刻家・高村光雲の高弟で、現・奥野雅司宮司の曽祖父にあたる。
瑞雲の作品は戦禍で多くが焼失したが、台湾に逃れ無事だった欄間一対が縁あって祖母の元に戻った。この欄間は黒漆枠付き左右二枚一組で、後に祖母から預かり、同社で長年保管していたものが衝立に形を変えて現代に生き返った。衝立は、上下二段に五匹の鯉が渦巻く水に躍動する両面仕立て木彫図である。瑞雲の作品は他にも彌彦神社、成田山新勝寺などに現存している。
瑞雲の作品は戦禍で多くが焼失したが、台湾に逃れ無事だった欄間一対が縁あって祖母の元に戻った。この欄間は黒漆枠付き左右二枚一組で、後に祖母から預かり、同社で長年保管していたものが衝立に形を変えて現代に生き返った。衝立は、上下二段に五匹の鯉が渦巻く水に躍動する両面仕立て木彫図である。瑞雲の作品は他にも彌彦神社、成田山新勝寺などに現存している。
氷川神社【石神井の氷川さま】について
室町時代に豊嶋氏が石神井城築城の際、大宮の武蔵国一宮氷川神社の御分霊を城内に奉斎したのにはじまるという。文明9年(1477)、同城が太田道灌により攻められ落城の後は、石神井の総鎮守として仰がれ、今日に至る。本社が石神井郷の総鎮守であったことは、『新編武蔵国風土記稿』『江戸名所図会』などの諸誌に明記されている。本殿の左右に豊嶋氏子孫の奉納した石灯篭(元禄年間)一対等がある。2000余坪の境内には武蔵野の面影が感じられる。
【鎮座地】東京都練馬区石神井台1-18-24
(令和2年8月寄稿)
氷川神社【石神井の氷川さま】のページへ