檜原村
大嶽神社
大嶽(おおだけ)神社の民話に伝わる
鬼源兵衛の大石
源兵衛は深く大嶽神社を信仰し、自分の力試しにと500貫もある大石を担ぎ上げて大嶽神社に奉納した。この石は女子供でも押せば動くので「鬼源兵衛のゆるぎ石」と呼ばれている。
鬼源兵衛は玉川上水通水工事に怪力の持ち主として白羽の矢が立ち、檜原村を代表して一人で出向き、大きな河原石を手玉に取ってブンブン投げ飛ばしたので、役人はもとより人足たちもあっけに取られ見入るばかりであったと言い伝えられている。
なお、対岸の草花八雲神社にも200貫からある大石を担いで行き奉納し、現在も「鬼源兵衛の力石」と呼ばれ残っている。
鬼源兵衛は玉川上水通水工事に怪力の持ち主として白羽の矢が立ち、檜原村を代表して一人で出向き、大きな河原石を手玉に取ってブンブン投げ飛ばしたので、役人はもとより人足たちもあっけに取られ見入るばかりであったと言い伝えられている。
なお、対岸の草花八雲神社にも200貫からある大石を担いで行き奉納し、現在も「鬼源兵衛の力石」と呼ばれ残っている。
大嶽神社について
景行天皇41年(111)、日本武尊東征時に創建。のち聖武天皇の天平19年(747)大和吉野山より広国押武金日尊を勧請合祀し、大嶽金峰蔵王権現と称した。西多摩地域では古社として知られている。
【鎮座地】東京都西多摩郡檜原村8189
(令和元年6月寄稿)
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