瑞穂町
加藤神社
町旧跡
加藤塚
御祭神である加藤丹後守景忠は甲斐武田氏の家臣であったが、武田氏が滅亡した天正10年(1582)に逃れてきたこの地で果てた。村民はその死を悼み直径11メートル、高さ1.5メートルの塚を築いて葬った。
塚の上には周囲約8メートルの欅等の大木が茂っていたが、戦後航空障害と旧国道16号線の開通のために伐採された。さらに平成に至って道路拡幅に伴い、塚を社殿の裏手にあたる現在地に移し、社殿も新築した。これに伴い塚は町旧跡に改められた。現在の塚は直径6メートル、高さ70センチ。(町教育委員会掲示参照)
塚の上には周囲約8メートルの欅等の大木が茂っていたが、戦後航空障害と旧国道16号線の開通のために伐採された。さらに平成に至って道路拡幅に伴い、塚を社殿の裏手にあたる現在地に移し、社殿も新築した。これに伴い塚は町旧跡に改められた。現在の塚は直径6メートル、高さ70センチ。(町教育委員会掲示参照)
加藤神社について
当社は、寛政年間(1790年代)、後裔が石塔を建てたことなどをきっかけに村民の間に信仰の念が深まり、八幡社と称して創祀された。明治35年に現社名に改称。
【鎮座地】東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎315
(平成30年11月寄稿)