杉並区
久我山稲荷神社
「人心同」碑
この石碑には、日本に亡命した朝鮮李王朝末期の政治家である金玉均が、小笠原で友好を結んだ、久我山出身の「小笠原の砂糖王」飯田作右衛門に頼まれて揮毫した漢文が刻まれている。
碑の上部に体は遠く離れていても心は同じという意味の「人心同」の文字が、下部に「彼(飯田)は若くして家を出て今は小笠原で商売を行っているため、武蔵国に住んでいる父親に親孝行ができないでいる。大きな親の恩のため、自分の不孝を記した石碑を建てて子孫への戒めにしたいからと碑文を頼まれ、その心根に打たれその場でこの文を書いて贈る」と刻まれている。明治21年7月書。高さ207センチ。
碑の上部に体は遠く離れていても心は同じという意味の「人心同」の文字が、下部に「彼(飯田)は若くして家を出て今は小笠原で商売を行っているため、武蔵国に住んでいる父親に親孝行ができないでいる。大きな親の恩のため、自分の不孝を記した石碑を建てて子孫への戒めにしたいからと碑文を頼まれ、その心根に打たれその場でこの文を書いて贈る」と刻まれている。明治21年7月書。高さ207センチ。
久我山稲荷神社について
創建の由来は不詳。例祭日は10月1日だが7月24日に「湯の花神楽」が奉納される。この神楽は大釜に湯を沸かし、小笹を打ち振りながら行う。昔この地に疫病が流行した際、村人が神楽を奉納して祈願したところ疫病が止んだという故事による。
【鎮座地】東京都杉並区久我山3-37-14
(平成30年5月寄稿)