三鷹市
勝淵神社
市登録史跡
兜塚
織田信長の重臣、柴田勝家は賤ヶ岳の戦いに敗れ北ノ庄にて自刃したが、孫である後の勝重を落ち延びさせる際、愛用の黄金の兜を与えた。その後勝重は関ヶ原の戦や大坂の役で戦功を挙げ、恩賞として与えられた所領の一部分である現境内地に社殿を建立。その傍らに兜を鎮め祀ったと伝わっており、兜塚と称している。戦後荒廃したため、昭和63年に塚を再建した。3メートル四方の台石中央に半球状の石が載っている。
勝淵神社について
由緒は不詳なるも、仙川の原泉と往古より水の神として崇敬されていた。元和元年(1615)柴田勝重が当地を領有し兜を鎮めて以来、勝淵大明神と称した。柴田家国替えのため愛知県岡崎市にも勝淵神社と兜塚があり、此方の塚には兜の緒が埋納されているという。
【鎮座地】東京都三鷹市新川3-20-17
(平成27年5月寄稿)