ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
-
府中市大國魂神社【武蔵総社・六社さま】鼓楼は太鼓を懸け時刻を知らせるための建物で、江戸時代に鐘楼と相対して造られることが多く、宇治の万福寺や日光東照宮のものがよく知られている。大國魂神社では、慶長年間徳川家康が江戸開府を祝い本殿を造営した際に、三重塔と相対して建設さ…
-
北区熊野神社白酒祭は弓矢で的を射ることで、厄除けと豊作を祈る祭事で、鬼と書かれた大きな的を弓矢で射る行事が、毎年2月7日に執り行われる。元々は正月7日に執り行われたもので、下村(志茂)地域ではオビシヤ行事と合わせて村の人々が正月のために白酒…
-
中央区末廣神社この中啓(末廣扇)は335年前、延宝3年(1675年)の社殿修復の際、本殿から神楽舞の神狐面と共に出たものである。扇の前面には中央に鳳凰が、その周りと裏面には菖蒲の画が描かれている。この扇に因み、氏子の人々が悦び祝って「末廣」の…
-
港区廣尾稲荷神社拝殿天井(350センチ×440センチ)のほぼ全体にわたる大きな画面には、水墨の線と濃淡のぼかしを巧みに活かし、頭から尾の先までを円状にくねらせながらその姿を現わす一頭の龍が、生き生きと描かれています。図中には、「藍川[らんせん]…
-
渋谷区御嶽神社当神社は、明治3年4月17日かしこくも明治天皇駒場野練兵場において、我が国最初の観兵式統覧のため行幸の際、御往復とも御召替のため御小休所となったところである。翌月宮内省より白木鳥居並びに駒寄せを寄進される。昭和12年文部省より聖…
-
板橋区熊野神社前野町の熊野神社境内には、五基の庚申塔が整然と立てられている。造立年代を見ると「享保」年間から「天明」年間までで、およそ80年の間に石塔が相次いで立てられたことになる。全ての石塔の正面には「青面金剛」像、「邪鬼」(あまのじゃく)…
-
青梅市春日神社【かすがさま】都指定有形文化財の本殿は、慶安元年(1648)に、多摩郡下師岡村名主吉野太郎右衛門と同郡吹上村名主塩野喜右衛門の発願により、大工の吉沢籐兵衛が建立したものです。形式及び構造は、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、瓦棒銅板葺(…
-
世田谷区松陰神社松陰神社の境内には高さ九尺が2基、高さ八尺が30基、合計32基の御影石の燈籠が整然と立ち並んでいます。 松陰先生が安政6年に亡くなられてから50年後の明治41年に松陰先生五十年祭が催行されました。これらの石燈籠は、その際に当…
-
港区八幡神社【西久保八幡様】本貝塚は武蔵野台地東南の端の方愛宕山付近で溜池谷にそそぎ込む我善坊谷とその支流に挟まれた台地の北側斜面に形成されており、その存在は戦前から知られていましたが、昭和58年に社殿の西側ではじめて発掘調査が行われました。標高は現在の2…
-
昭島市熊野神社昭島市中神熊野神社の祭礼獅子舞は、昔、この地を領していた小田原・北条氏の支藩、北条氏照の時代に奨励されて始まったと言われ、約400年以上の歴史を持つ。 古くは、神社の祭礼に際して、神輿渡御に代わって、怨霊退散、五穀豊穰を祈願…
-
神津島村物忌奈命神社この神事は、江戸後期11代将軍家斉公の時代に始まった、例祭(8月2日)に伴う神振行事で、国指定重要無形民俗文化財である。カツオ節が当地の特産物であった江戸後期、板子一枚下は地獄の荒海において手漕ぎ四丁櫓などでカツオを漁獲し、無事…
-
墨田区稲荷神社【飛木稲荷】ご神木の大公孫樹(おおいちょう)について、昭和7年発行の『南葛飾郡神社要覧』に、樹齢数百年を算する霊木にして、神社の往古を證するに足り郡内唯一の大木なり。飛木稲荷の名は実に此神木より発し、亭々郡木を抜きて天空を摩する偉観を賞美せ…
-
練馬区氷川神社【石神井の氷川さま】かつては本殿の前面両側に置かれてた燈籠で、元禄十二年の年期が彫られています。当神社を創建した豊嶋泰盈(としまやすみつ)、豊嶋泰音(としまやすたか)により奉納されたものです。「高砂」図の彫刻がある風雅な燈籠ですが、一基は火袋が欠損…
-
町田市八幡社【箭幹八幡宮】当神社の随身門は、神社外郭の門で、武官姿の随身像を左右に安置しております。 桁行三間、梁行二間の入母屋造り銅板葺き、軒部分に唐破風をつけた門で、中央の間を参拝者の通路としております。 建築の年代は細部の造りから推察して江…
-
港区稲荷神社【亀塚稲荷神社】全国でも中世の関東地方に著しい信仰の特徴といわれる板状の秩父青石、すなわち緑泥片岩に刻まれた供養塔である。 弥陀を表す記号(種子)を上部に刻み、頂部を山状に切りだした秩父型の三基には、それぞれ「文永三年(1266)十二月」「…