ご社宝めぐり
東京の神社の大切な「ご社宝」をご紹介しています。
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台東区熱田神社本社が所蔵する大太刀は全長368.5センチの長大なものである。弘化4年(1847)小石川に住居する刀工、川井久幸が制作し、当社に奉納した。宝刀として保存されるだけではなく、安政5年(1858)のコレラ流行の際には、疫病を祓うため…
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三鷹市勝淵神社織田信長の重臣、柴田勝家は賤ヶ岳の戦いに敗れ北ノ庄にて自刃したが、孫である後の勝重を落ち延びさせる際、愛用の黄金の兜を与えた。その後勝重は関ヶ原の戦や大坂の役で戦功を挙げ、恩賞として与えられた所領の一部分である現境内地に社殿を建…
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杉並区天祖神社【神明様】当神社の社務所前には椿の垣根があり、よく見ると先端が金魚の尾っぽのように分かれている珍しい形の葉をした木があります。この椿はキンギョツバキ(金魚椿)またはキンギョバツバキ(錦魚葉椿)といわれ、突然変異によって生まれたヤブツバキの…
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新宿区水稲荷神社水稲荷神社の祭礼を中心に奏される祭囃子で、江戸時代末期に阿佐ヶ谷に住む田淵初(本名横川初五郎)が編み出した田淵流祭囃子の流れをくむものである。 昭和初期に途絶え、太平洋戦争後に一時期(昭和24年~同28年)に再開したが、昭和…
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あきる野市二宮神社【みょうじんさま】算額絵馬は、数学の問題や解法が書かれたもので、江戸時代に神社や仏閣に解答成就の感謝などを目的に奉納されるようになりました。あきる野市の二宮神社に現存する算額は、寛政6年(1795)に奉納された絵馬で、日本独自の数学である和算を使…
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新宿区八幡神社 【筑土八幡神社】寛文四年(1664)に奉納された舟型(光背型)の庚申塔である。高さ186センチ、黒褐色安山岩。最上部に日月、中央部に雌雄の猿と桃の木を配する。右側の牡猿は立ち上がって実の付いた桃の枝を手折っているのに対し、左側の牝猿はうずくまり…
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大田区八幡神社【子安八幡神社】この石鳥居は安永3年(1774)に、時の領主小泉藤三郎包教の武運長久を祈って氏子たちが奉納したものである。この時代の領主と村民の結びつきを知る上にも貴重である。小泉氏は初代次太夫吉次が六郷用水を開削した功績により、幕末まで代々こ…
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品川区利田神社【辨天社】この鯨碑(鯨塚)は寛政10年(1798)5月1日、前日からの暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師たちによって捕らえられた鯨の供養碑である。鯨の体長は約16.5メートルの大鯨で江戸中の評判になり、ついには時の将軍、十一代…
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千代田区日枝神社【山王さま】十代将軍徳川家治公直筆の絵画で、一羽の雉と枯れ枝などが描かれている。材質は和紙、画面の寸法は高さ111.5センチ、横幅42.5センチ。保存状態も良く、添書きによれば、この絵画は安永2年(1773)当時家治近臣として御小納戸頭取を…
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世田谷区東玉川神社この社殿は昭和14年に拝殿、翌15年に本殿を、渋谷区本町の氷川神社の旧社殿を譲り受けて改築したものです。移築された社殿の建築年代ははっきりしませんが、その特徴や向拝の天井に描かれた「火炎龍神像」(写真下)の墨絵に弘化2年(184…
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足立区氷川神社この四神(青龍・白虎・朱雀・玄武 写真右上から時計回り)は高さ約4メートルの支柱の上に載せられるもので、天保4年(1833)に地元の商家ら11名より奉納された。剣鉾を中心に飾られ、寸法の最も大きい朱雀で高さ70センチ、縦78セン…
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御蔵島村稲根神社この記念碑は文久3年(1863)アメリカの商船ヴァイキング号が御蔵島で遭難、アメリカ人23人、中国人(広東人)460人を島民が全員救助しています。このときの島民はわずか250名でした。 そのおよそ100年後の昭和42年(19…
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千代田区神田神社【神田明神】この錦絵は歌川(安藤)広重の晩年の作品で、安政4年(1857)に制作された。絵柄は早朝、神職、巫女、仕丁が日の出を迎えている光景を描いている。江戸時代、小高い丘(神田台)に祀られていた神田明神には、日の出を拝む人々が足を運んだ。…
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練馬区淺間神社【下練馬の富士様】下練馬の富士塚と通称されるこの塚は、高さが約5メートル、直径が約15メートル。下練馬上宿、中宿の丸吉講によって江戸時代に築かれたものと考えられている。明治の前に一度と明治5年6月に修復が行われ、町の発展に伴い昭和2年6月にも修造…
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新宿区諏訪神社 【おすわ様】この絵馬は縦70センチ、横80センチ。寛政7年(1795)に奉納されたものであることが墨書からわかる。長期間風雨に曝されたため墨による線描は確認できたが、絵部分の彩色が落ちていた。倉庫に保管されていたものをあらためて確認したとこ…
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文京区稲荷神社【腰掛稲荷】特別天然記念物の菊花石は岐阜県根尾村に産する岩石で、割った切面に菊花状の模様が現れる。近年庭石や飾石として珍重されている。赤褐色朱紫などの岩石の地肌に白や菊紋が点在する。中には菊紋の直径が20センチに及ぶものもある。当社の菊花石…
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新宿区稲荷鬼王神社通称「力様(りきさま)」(全高1メートル)。鬼形のこの水盥石は、人々に病や苦しみを与える邪鬼を力士が四股を踏んで追い払っている姿である。言い伝えによるとこの盥石は加賀美某の邸内にあったが、毎夜水を浴びるような音がするので、家宝の…
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あきる野市雨武主神社【みょうじんさま】現在のこの本殿は嘉永2年(1849)に建造された。構造は三間社・流造で、総欅造りの建築である。周囲の羽目板には中国の故事を題材とした彫刻が施され、386代目飛騨内匠(ひだのたくみ)の後藤三次郎らの手によって造られたことが当時の社…
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練馬区氷川神社この絵馬は、当神社の春祭りで3年ごとに行なわれる「お浜井戸の里帰り行列」を描いたもので、大きさは横143センチ、縦56センチ。明治43年に奉納され、サーベルを持った制服姿の巡査が先導し、神輿を中心に石神井川沿いを行列する50余名…
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荒川区素盞雄神社【千住天王】この石は当社創建の起源となった奇岩で、「神影面瑞光珪石(しんえいめんずいこうけいせき)」とも称す。 「江戸近郊道しるべ」には、千住大橋架橋の際、この石の根が荒川(現隅田川)まで延びていたため、橋脚が打ち込めなかったという伝承…
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目黒区大鳥神社【目黒のお酉様】桃山時代、茶の湯の興隆により露地の明かりとして石灯籠が利用されるようになり、さらには茶人好みの灯籠が新しく考案された。その代表的なものとして、同時代の武将・茶人の古田織部正重然(おりべのかみしげなり)が考案したといわれる織部灯籠…
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八丈島八丈町優婆夷宝明神社ソテツ(蘇鉄)は裸子植物ソテツ科の常緑裸子植物で、中生代には地球上に広く分布していたが、現在では限られた地域に約100種が知られている(ブリタニカ百科事典より)。当社のソテツは樹齢700年から1000年といわれ、大きさは高いとこ…
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葛飾区半田稲荷神社この遺構は嘗ては湧泉井戸で、現在湧出はしていないが、旧来の形状がよく保存されている。 享保年間(1716~37)の頃には、当社は庖瘡・麻疹・安産に霊験ありといわれ、当時願人坊主(がんにんぼうず/僧形の芸人)が「葛西金町半田の…
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台東区稲荷神社【石稲荷】この幟は当社の近くに「雨華庵」を結んだ酒井抱一(さかいほういつ)が揮毫し、文化10年(1813)2月初午に奉納したと伝えられるもので、現在も毎年初午の例祭日に、正面鳥居両脇に立てられる。幟の寸法は高さ5m75cm、幅56cm。 …