中山道に続く「王子稲荷の坂」。ご参詣のための「稲荷道」を歩く
JRや都電荒川線がある賑やかな「王子駅前」から、少し住宅街を歩き、鮮やかな朱塗りの塀と大きな神門が見えてきたら、もうそこが王子稲荷神社の境内です。また、境内手前を左に入ると「王子稲荷の坂」と名付けられた坂があり、こちらからも境内へ入れます(写真下)。この坂は中山道へと繋がる道で「稲荷道」と呼ばれ、江戸時代からずっとご参詣の方が行き交う道です。
狐にまつわるさまざまな伝承と、現代に続く「王子 狐の行列」
王子稲荷神社は、平安時代に「東国三十三国の稲荷総司」という称号を授かった、長い歴史を持つ稲荷神社です。ゆえに狐(きつね)との縁は深く、毎年大晦日の夜には、諸国の狐が社地の東にある古い榎に集まり、そこで装束をあらためて王子稲荷神社に参詣する、という伝説もあります。上の絵は、その風景を描いたもの。江戸時代、歌川広重の「名所江戸百景」に描かれており、当時から名所として有名だったことがうかがわれます。
また境内の奥には、かつて実際に狐が住むような森が広がっており、江戸時代に石垣をご奉納いただいて整備した折にも、狐の穴を残したと伝わっているそうです。
またくだんの古い榎の場所には現在、装束稲荷神社が鎮座しています。平成5年(1993)からは地元の方々によって現代に「王子 狐の行列」が復活し、大晦日から元日にかけて狐のお面をかぶった裃(かみしも)姿の人々が装束稲荷神社を出発して、王子稲荷神社までお囃子とともに練り歩きます。始まったときは行列も20〜30人でしたが、現在は300人くらいの大行列となり、大勢の方が見物に訪れるように。深夜に行われる神秘的な「狐の行列」。伝説を彷彿とさせる景色を、ぜひ一目見たいものですね。
また境内の奥には、かつて実際に狐が住むような森が広がっており、江戸時代に石垣をご奉納いただいて整備した折にも、狐の穴を残したと伝わっているそうです。
またくだんの古い榎の場所には現在、装束稲荷神社が鎮座しています。平成5年(1993)からは地元の方々によって現代に「王子 狐の行列」が復活し、大晦日から元日にかけて狐のお面をかぶった裃(かみしも)姿の人々が装束稲荷神社を出発して、王子稲荷神社までお囃子とともに練り歩きます。始まったときは行列も20〜30人でしたが、現在は300人くらいの大行列となり、大勢の方が見物に訪れるように。深夜に行われる神秘的な「狐の行列」。伝説を彷彿とさせる景色を、ぜひ一目見たいものですね。
江戸の頃、「東都三十六景」に描かれた風景に想いを重ねて
日本橋から二里(約8km)の場所にある王子は、江戸府内から日帰りで行ける観光地でもありました。王子稲荷神社の近辺も江戸時代には茶屋が何10軒もあり、神社に参拝して、そのあとは茶屋や飛鳥山でのお花見などで過ごす、というのが当時の武士や庶民の楽しみのひとつだったのです。
下の絵は、二代広重の「東都三十六景」にある王子稲荷神社の当時の風景。その絵にも描かれている、十一代将軍の徳川家斉公の寄進による鮮やかな朱塗りの御社殿は、ふだんは見えない折戸の後ろまで金箔が貼ってあるとても贅沢なつくりとのこと。訪れた江戸の人々もその美しさに驚いたことでしょう。
階段を登った先の境内からの眺望は、戦後すぐまでは荒川の土手が見え、その向こうにはなんと茨城県の筑波山まで遠望できていたそう。また境内には昭和32年から幼稚園も開園され、以来、地域の子どもたちが育まれる場所ともなっています。
いにしえの絵に今を重ねながら、多くの参詣の方々が通った王子稲荷の坂を歩き、王子稲荷神社を訪れてみませんか。
下の絵は、二代広重の「東都三十六景」にある王子稲荷神社の当時の風景。その絵にも描かれている、十一代将軍の徳川家斉公の寄進による鮮やかな朱塗りの御社殿は、ふだんは見えない折戸の後ろまで金箔が貼ってあるとても贅沢なつくりとのこと。訪れた江戸の人々もその美しさに驚いたことでしょう。
階段を登った先の境内からの眺望は、戦後すぐまでは荒川の土手が見え、その向こうにはなんと茨城県の筑波山まで遠望できていたそう。また境内には昭和32年から幼稚園も開園され、以来、地域の子どもたちが育まれる場所ともなっています。
いにしえの絵に今を重ねながら、多くの参詣の方々が通った王子稲荷の坂を歩き、王子稲荷神社を訪れてみませんか。
「王子駅前」の学べる・楽しめるスポット
飛鳥山公園
東京都北区王子1-1-3
飛鳥山モノレール
東京都北区王子1丁目付近
音無親水公園
東京都北区王子本町1丁目
北とぴあ
東京都北区王子1-11-1