貞明皇后
四方(よも)のくに むつみはかりて
すくはなむ さちなき人の
さちをえつべく
すくはなむ さちなき人の
さちをえつべく
― 大正十四年貞明皇后より日本赤十字病院に御下賜の御歌
皇室と日本赤十字社
日本赤十字社の前身(博愛社)は、明治十年(一八七七年)五月、西南戦争の最中、佐野常民等の設立趣意書を征討総督 有栖川宮熾仁(たるひと)親王が許可し「敵味方の区別なく救う」という赤十字精神で、官薩両軍の疾病者の救護に当たりました。
設立時の博愛社は社員三十八人。この黎明期に財政支援したのが皇室でした。昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)は毎年の寄付に加え、明治十九年に博愛社病院(現・日赤医療センター)の開院式にご臨席。病院移転にあたっては、建設費用と土地を贈られています。
昭憲皇太后は財政支援だけでなく、磐梯山噴火、濃尾地震、三陸大津波など、明治の自然災害の被災者支援に自ら取り組まれました。戦時救護が世界の赤十字の主要任務とされていた時代、日本赤十字社の被災地救護の活動は先駆けとなりました。
関東大震災では、大正天皇の皇后・貞明(ていめい)皇后が自ら度々、日赤救護所や乳児院などを訪れ、赤十字社員を激励し、被災者を見舞われました。皇室は昭和以降も紛争・災害・病気などで苦しむ人を救うため日本赤十字社とともに支援活動を続けています。
設立時の博愛社は社員三十八人。この黎明期に財政支援したのが皇室でした。昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)は毎年の寄付に加え、明治十九年に博愛社病院(現・日赤医療センター)の開院式にご臨席。病院移転にあたっては、建設費用と土地を贈られています。
昭憲皇太后は財政支援だけでなく、磐梯山噴火、濃尾地震、三陸大津波など、明治の自然災害の被災者支援に自ら取り組まれました。戦時救護が世界の赤十字の主要任務とされていた時代、日本赤十字社の被災地救護の活動は先駆けとなりました。
関東大震災では、大正天皇の皇后・貞明(ていめい)皇后が自ら度々、日赤救護所や乳児院などを訪れ、赤十字社員を激励し、被災者を見舞われました。皇室は昭和以降も紛争・災害・病気などで苦しむ人を救うため日本赤十字社とともに支援活動を続けています。
都内戦災・震災殉難者慰霊祭
毎年、終戦日である八月十五日午後一時半より関東大震災・東京大空襲で亡くなられた約一六三〇〇〇体のご遺骨が安置されている東京都慰霊堂(墨田区横網町公園内)において都内戦災・震災殉難者(じゅんなんしゃ)慰霊祭を斎行し、御霊に慰霊の誠を捧げ御霊の平安をお祈りします。
当日の祭祀は、東京都神道青年会の青年神職が奉仕いたします。皆様方のご参列をお待ちしております。
*この祭事に関するお問合わせは 東京都神社庁 ☎03(3404)6525まで
今月の祭日
【八月十五日】
都内戦災・震災殉難者慰霊祭【於:東京都慰霊堂】
御霊の平安を祈念します。皆様のご参列をお待ちしております。