今上陛下
雲間より さしたる光に
導かれ われ登りゆく
金峰(きんぷ)の峰に
導かれ われ登りゆく
金峰(きんぷ)の峰に
― 平成三十一年歌会始お題「光」
国旗「日の丸」
国旗には、国家の伝統と誇りが込められ、国家の独立と主権を表します。
わが国の国旗は幕末安政七年(一八六〇)三月に日米修好通商条約批准書交換の際に派遣された幕府の咸臨丸が船尾に「日章旗」を掲げサンフランシスコ港に堂々と入港したことが外交上の初見で明治三年(一八七〇)の商船規則には船舶識別旗として制定されました。
その形状は隋書倭国伝に「日出づる処の天子」とあるように太陽を紅色で清浄・純白の心を白で表され一般的に「日の丸」の愛称で親しまれています。
わが国の国旗は幕末安政七年(一八六〇)三月に日米修好通商条約批准書交換の際に派遣された幕府の咸臨丸が船尾に「日章旗」を掲げサンフランシスコ港に堂々と入港したことが外交上の初見で明治三年(一八七〇)の商船規則には船舶識別旗として制定されました。
その形状は隋書倭国伝に「日出づる処の天子」とあるように太陽を紅色で清浄・純白の心を白で表され一般的に「日の丸」の愛称で親しまれています。
◎神道知識の誘(いざな)ひ
追儺式(つひなしき)
追儺とは「おにやらい」とも呼ばれ疫病等をもたらす疫鬼を追い祓い災厄や邪気を除く行事です。もともと中国から伝えられた習俗ですが続日本紀(しょくにほんき)によると文武天皇の慶雲三年(七〇六)に諸国で疫病が蔓延し多くの死者が出たので「おにやらい」を宮中で行なったとの記述があり日本で初めての追儺の儀式と考えられています。その後、春を迎えるにあたって災厄を祓う行事として大晦日(旧暦で立春の前日)の宮中行事として行なわれるようになり、次第に民間にも広まっていきました。
江戸時代になると「追儺」は宮中行事ではなくなりましたが、民間や多くの社寺において「節分」の豆まきとして現在でも続いています。因みに「節分」とは「季節の分かれ目」という意味で、立春、立夏、立秋、立冬の前日はすべて「節分」となります。しかし立春が一年の初めと考えられていたことから立春前日の節分が最も重要視され一般的に「節分」とは立春の前日の事を指します。なお今年は二月二日が節分となります。
江戸時代になると「追儺」は宮中行事ではなくなりましたが、民間や多くの社寺において「節分」の豆まきとして現在でも続いています。因みに「節分」とは「季節の分かれ目」という意味で、立春、立夏、立秋、立冬の前日はすべて「節分」となります。しかし立春が一年の初めと考えられていたことから立春前日の節分が最も重要視され一般的に「節分」とは立春の前日の事を指します。なお今年は二月二日が節分となります。
今月の祭日
【紀元祭(十一日)】
本年は、皇紀二六八一年。神武天皇の建国創業をしのび、国の誕生を祝い、国を愛する心を養いましょう。
【天長祭(二十三日)】
国民の奉祝の万歳で今上陛下のお誕生日をお祝いいたしましょう。
本年は、皇紀二六八一年。神武天皇の建国創業をしのび、国の誕生を祝い、国を愛する心を養いましょう。
【天長祭(二十三日)】
国民の奉祝の万歳で今上陛下のお誕生日をお祝いいたしましょう。