明治天皇
白雲の よそに求むな
世の人の まことの道ぞ
しきしまの道
世の人の まことの道ぞ
しきしまの道
明治天皇
第百二十二代天皇【ご誕生】
嘉永五年九月二十二日(新暦十一月三日)
【ご称号】
祐宮(さちのみや)
【お印】
永(えい)
【ご陵所】
伏見桃山陵
悠紀国(ゆきこく)と主基国(すきこく)
大嘗祭は、天皇陛下が即位後初めて新穀を皇祖・天神地祇(てんしんちぎ)に供えられ、親(みずか)らも召し上がり国家国民の安寧と五穀豊穣などを感謝し祈念される儀式です。この大嘗祭において、新穀を奉る地方を悠紀国と主基国と言い、「悠紀」とは「最も神聖で清浄である」、「主基」とは「次」という意味があります。現在では新潟、長野、静岡の線で、国内を東西に二分して、その三県を含む東側を「悠紀の地方」、それより西側を「主基の地方」と定め、亀卜によりそれぞれの都道府県が卜定されます。その後、卜定結果を宮内庁長官が天皇陛下に上奏して御裁可を仰ぎ、悠紀・主基両地方の勅定が下ります。
このようにして定められた悠紀・主基両斎田では、祓式の後、御鍬入れ式、播種式等が行われ、六月頃には御田植式が斎行され、以降十月まで、それぞれの地方の人々は、来るべき大嘗祭にたてまつるべき新穀を、数々の農耕儀礼を斎行しつつ、丹精をこめて稲作にご奉仕します。
このようにして定められた悠紀・主基両斎田では、祓式の後、御鍬入れ式、播種式等が行われ、六月頃には御田植式が斎行され、以降十月まで、それぞれの地方の人々は、来るべき大嘗祭にたてまつるべき新穀を、数々の農耕儀礼を斎行しつつ、丹精をこめて稲作にご奉仕します。
◎神道知識の誘(いざな)ひ
斎田点定(さいでんてんてい)の儀
大嘗祭に新穀をたてまつる神聖な田のことを「斎田」といい、全国から選定された二個所に設けられ、それぞれ「悠紀田(ゆきでん)」「主基田(すきでん)」と呼ばれます。
その選定の儀「斎田点定の儀」は、宮中三殿の神殿の前庭において古代のままの亀卜(きぼく)の法【亀の甲を波々迦木(ははかぎ)に移した斎火(いみび)で焚き、その甲の亀裂によって悠紀・主基両地方を卜定(ぼくじょう)する方法】により神意を伺い斎田を決定します。
その選定の儀「斎田点定の儀」は、宮中三殿の神殿の前庭において古代のままの亀卜(きぼく)の法【亀の甲を波々迦木(ははかぎ)に移した斎火(いみび)で焚き、その甲の亀裂によって悠紀・主基両地方を卜定(ぼくじょう)する方法】により神意を伺い斎田を決定します。
今月の祭日
【明治天皇例祭(三十日)】
宮中三殿のうち皇霊殿でお祭りが行われ、天皇陛下、皇后陛下、皇太子・同妃両殿下、皇族方が拝礼されます。伏見桃山陵においてもお祭りが行われます。
宮中三殿のうち皇霊殿でお祭りが行われ、天皇陛下、皇后陛下、皇太子・同妃両殿下、皇族方が拝礼されます。伏見桃山陵においてもお祭りが行われます。