天照大御神(あまてらすおほみかみ)
天壌無窮(てんじょうむきゅう)
天壌無窮の神勅
皇孫(すめみま)に勅(みことのり)して曰(のたま)はく、「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みづほ)の國(くに)は、是(これ)、吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たる可(べ)き地(くに)なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)、宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)り無(な)かるべし」
【口語訳】
天照大御神が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に勅して申されるには、
「豊かで瑞々しいあの国は、わが子孫が君主として治めるべき国土です。わが孫よ、行って治めなさい。さあ、出発しなさい。皇室の繁栄は、天地とともに永遠に続き、窮まることがありません。」
三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)
「八咫鏡(やたのかがみ)」、「八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)」、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)《別名:草薙剣(くさなぎのつるぎ)》」を総称して「三種の神器」と言います。八咫鏡と八坂瓊曲玉は、天照大御神が天の岩戸にお隠れになられた際、岩屋の外にお出ましいただくための祭りの祭具として作られました。
天叢雲剣は、出雲で素戔嗚尊(すさのをのみこと)が八岐大蛇を退治した折、大蛇の尻尾から出てきたもので、あまりに霊威溢れる剣だったので、天照大御神に献上されました。
後に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国征討の際に火攻めにあったとき、この剣で草をなぎ払い、火難より免れたことから、「草薙剣」とも呼ばれるようになりました。
天照大御神は、天孫瓊瓊杵尊の葦原中津国への降臨に際して、この三種の神器を授けて、天照大御神の子孫である皇孫尊が末永く日本の国を治めるようにとの「天壌無窮の神勅」を下されました。以後、皇位の継承とともに連綿と引き継がれて現在に至っています。
天叢雲剣は、出雲で素戔嗚尊(すさのをのみこと)が八岐大蛇を退治した折、大蛇の尻尾から出てきたもので、あまりに霊威溢れる剣だったので、天照大御神に献上されました。
後に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国征討の際に火攻めにあったとき、この剣で草をなぎ払い、火難より免れたことから、「草薙剣」とも呼ばれるようになりました。
天照大御神は、天孫瓊瓊杵尊の葦原中津国への降臨に際して、この三種の神器を授けて、天照大御神の子孫である皇孫尊が末永く日本の国を治めるようにとの「天壌無窮の神勅」を下されました。以後、皇位の継承とともに連綿と引き継がれて現在に至っています。
◎神道知識の誘(いざな)ひ
践祚(せんそ)
「践」は「ふむ・位につく」「祚」とは「天子の位」を意味し、合わせて用いることで「天皇の位に就く」ことを表す言葉です。古来、御代替(みよがわり)では崩御もしくは譲位を受け、空位が発生しないよう直ぐ御位に就かれること(践祚)を最も大事とされ、御位を内外に宣明すること(即位)と分けて考えてきました。
今月の御大礼
【五月一日】
剣璽等承継の儀(剣璽渡御の儀)
天皇陛下が剣(天叢雲剣の写し)・璽(八坂瓊曲玉)・御璽・国璽を継承する儀式。賢所の儀・皇霊殿神殿に奉告の儀
皇祖皇宗ならびに天神地祇に践祚を奉告する儀式。即位後朝見の儀(践祚後朝見の儀)
践祚後初めて新天皇として国民の代表に会われる儀式。